国語の読解

オンラインでの指導も3週目に入りました。

生徒たちもだいぶ慣れてきて動きが良くなってきております。

ふだんの通塾しての対面とそれほど変わらないような感じになりつつもあります。

さて、教育出版の中3国語の教科書に載っている「私」。

毎年この単元をやると生徒たちから同じ言葉が出てきます。

「何を言っているのかわからない」「どういうこと?」「二重人格なの?」などさまざまな疑問が。

そういう私自身も実はよく理解ができていません。理解できていないというより、問題を解くことはできても、そもそも不思議に思う箇所がたくさんあるということです。

筆者の本当の言いたいところは全く分かりませんが、テキストをはじめとする問題を解く分には特に問題はありません。

ネットでも、この「私」という作品については質問が多く出ているようなので、やはり良くわからないという生徒が多いと思います。

ただ国語はどの作品でもそうですが、基本的には筆者や作者の本当の思うところはわからないわけです。問題などは、作問者との戦いといってもいいでしょう。そして、書いていないことは分からないですし、答えになりません。国語の答えというのはすべて生徒の頭の中ではなく、文章中にしか存在しないことになります。

国語の読解をするためには必要な知識や語彙力はもちろん必要なのは当然ですが、きちんと問題の意図を把握して何を聞かれているのか、そして、何を答えるべきなのかを考える必要があります。国語は日本語だから、という理由で何となくやってしまう人も多いかもしれませんが、それではきちんとした正解がいつでも導きだせるとは限りません。

読解にはルールがあるのです。そして、やるべきこともあります。今週・来週で塾生にはそのあたりを解説して練習して訓練をしていく予定となっております。それができればどんな文章においても同じように解くことができます。国語の文章の構成や構造を分かって解いていきます。国語はそのルールが分かれば点数に結びつけることができるのです。

読書をたくさんすれば国語ができるようになる、なんてことはないのです。読書には読書の良さがあってもちろん国語につながる要素は多々ありますが、ただ本を読めばいいということではありませんので、読解ルールを学んでその上で読書をすれば普段から国語の学習ができる状態になりますね。

小学生や中学1年生はその準備段階として、読む上で必要な知識のトレーニングを行ってまいります。

せっかくの小中学校休校期間をうまく利用して、ふだんなかなか時間をかけることができない読解の部分を鍛えていきます。

今日は「哲学の日」ですね。

最初に紹介した「私」も読むと哲学的な感じにもなります。

休校期間が続いておりますので、哲学というと堅苦しいかもしれませんが、人間の存在意義や、なぜ生きるのか、時間とは何か、モノって何だろうなど考えてみるのもよいかもしれません。

私は久しぶりに「ソフィーの世界」を読んでみたくなりました。

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