勉強は誰のため?

よく英語の授業などで聞く言葉があります。

それは、「僕は一生外国に行かないから英語はできなくても問題ない」のようなセリフです。

極端になると「深谷から一歩も出ないから全然平気」とまで出てきます。

また、英語ではありませんが、宿題などを必死に頑張って夜中までやったという生徒などは「やらないと怒られるから頑張った」「お母さんがうるさいから徹夜でやった」のようなセリフもあります。

今日あるテレビで夏休みの宿題は必要か、不要かのようなものを視聴者からアンケートを取っていましたが、結果は、不要が圧倒的に多かったです。

結局、夏休みの宿題にしろ何にしろ、誰かに怒られるのが嫌だから、というのが最初に来るのです。

このように見てくると、結局勉強は誰のためにやっているのか疑問です。

学校の先生や親に怒られないために行っているわけです。

つまり先生のためであったり親のためであったり・・・

もちろん入試があるからというのは理由の一つでしょう。

怒る側も「みんなのことを思って言っている」と発することが多いようですが、本当でしょうか・・・

そもそも勉強は自分のためにやるものではありません。自分のためにやっているうちは本当の勉強とは言えないのではないでしょうか。

将来の誰かの役に立つためにやるものであると考えます。医者は、「病気の人を治す」という目的があります。医者になるのは、だれかの力になりたいと考えるからです。

教師は、「勉強で困っている人に勉強の面白さを教えたい」と思うからこそ、教師を目指すわけです。

どんな仕事でもそれが自分の仕事が誰かの役に立つと思うからこそ、その仕事を目指すのではないでしょうか。

よって、勉強はいつかの誰かに役立つためにやるわけです。

勉強しないとその仕事に就けないものが多数あります。

計算ができなければ商売もできないでしょう。

中学生や高校生のみなさんは、そんな風に考えてみると勉強することがそこまで苦にならないでしょうし、やる気も出てくるでしょう。

そして、大人たちは、子どもたちがそんな風に考えられるように導いて上げるべきでしょう。宿題だって、ただ「やれ」では、やりたくなくなるに決まっています。

また、勉強はいやなものです。

私はよく生徒たちに伝えていますが、社会に出たら、いやなことがたくさんあるわけで、働くようになれば嫌でもやらなくてはいけないことがいっぱいあると伝えます。その時に、逃げないで向き合う力を養成するのも勉強だと思っております。

勉強から逃げているようでは、社会に出てからも、いやなことから逃げることしかできない大人の完成、となってしまいます。

勉強をしている側も、させる側もそのあたりを意識して考えていくと、もっと良い方向に進むような気がします。

なかなかそれが難しいのですが…

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