日曜日なので塾長自身のことを

ここ最近の恒例、日曜日は私自身についての記事です。

今回は少し真面目な話です。

よく子どもたちに聞かれるのですが、私の子どものころはどんなだったか、ということです。自分の過去を振り返るのはなかなか恥ずかしくもありますが、せっかくですから勉強のことも含めて書いてみようと思います。

まず、前提として私は一人っ子です。

さて、幼稚園のころは覚えていないので小学生のころ。

とはいっても小学3年生までと小学4年生からで全く異なります。

なおかつ小学3年生までもよく覚えていないのです。

小学4年生からは記憶にありますが、まずクラスで一番おとなしい、いわゆる目だたない子でした。ほとんどおしゃべりすることもないので、おそらく周りからは真面目でつまらない人間と思われていたかもしれません。無口だからと言っても、必要な時はきちんとしゃべりました。授業で指名されたときや、人前で発表するときなどはきちんと大きな声で答えることができました。

この小4のころからいわゆる思春期で、それにより無口になった気がしております。よって友達は小数でした。かつ、このころからやけに女子というものを意識するようになり、何とも恥ずかしながら弧のころから高校2年生までほぼ女子としゃべったことがないのです。やはり必要の時に最低限の会話で、ということです。小4から高2まではそんなわけで女子と日常会話をすることも、遊ぶことも1度もなかったのです。

では勉強はというと、今でもそうなのですが、図工は苦手でした。習字も嫌いでしたし、あとは理科もそれほどすきではなかったのです。これは中学、高校とずっとそうですが、とにかく何かを準備しなくてはいけない科目が嫌いでした。絵の具を出したり、水を汲んできたり、終わったら洗いにいったりというように、面倒なのと汚れるのが嫌だったのです笑

理科も実験や、そもそも移動教室が面倒なのです。ですから国語や算数(数学)などのように、教科書とノート、筆記用具だけで大丈夫で、必ずいつもの教室でやるものが好きだったのです。

体育も気が得るのが面倒だったですし…

要は面倒くさがりだったのですね。今でもそういう傾向はありますが…

一番好きだった科目は、4・5年生の時は算数ですが、6年生の時は社会でした。

習い事は、小2の1年間だけサッカーをやり、その後、そろばんを2年か3年かやりました。塾は小6の途中から行きましたが、勉強よりも遊ぶ方が好きで、毎日のように近所の友達と近くのお店にいったり、上ってはいけないところを上のほうまで登ったり、自転車で遊んだり…そんな日々でした。

中学校では、やはりクラスでは最もしゃべらないくらい子だったです。勝手に先生たちからは真面目という正義の男のような扱いになり、勉強もできる優等生タイプと勘違いされる羽目になりました。

まあ勉強は嫌いではなかったですが、英語以外はほとんど勉強した記憶がありません。ただ、ライバルが何人かいたので、テストの時は負けるもんかと思いながら競ってましたが、競ってる相手が学年1位とかだったので、英語くらいしか勝てませんでした。

やはり中学生になっても理科が嫌いで、さらに美術では、この時が唯一の通知表で「2」がついたこともあります。主要5教科は4か5でしたが、技能教科は音楽だけ4であとは3でした。

音楽も大好きな教科でしたが、先生が苦手で…テストは猛勉強しましたが、5にならず。まだこのころは相対評価だったのもありますし、ひいきが激しい先生だったので…

1か月程度ですが、中1の時に初めていじめも経験しております。今と違って分かりやすかったので、1か月程度で済みましたが、まあ良い気はしませんでした。

中学では、卓球部に所属しておりましたが、1つ上の先輩までは非常に強い中学校でしたが、私たちの代になってから顧問がいい加減になったおかげで地区の中で3番目くらいになり、県大も行けず・・・そうそう、私はカットマンをやってました。

以前に書いてますが、中学2年生の時の担任と小6から通い始めた塾の先生および高校1年生の時の担任が私の人生に大きな影響を与えております。

さて、もともと他人と同じが嫌いな人間であるため、高校受験も周りの反対を押しのけて、家から3時間のところを受験しました。推薦入試の時代でしたが、当然不合格。合格しなくてよかったと思いました。3年間も通うのは無理。ということで、小学生のころから行きたいと思っていた(理由は私服だったから)本庄高校へと進学しました。

高校は勉強が難しくなって大変したが一番充実していたでしょうか。勉強も楽しく、部活動も楽しく(1年次だけ卓球部。2年次からは放送部と生物部の兼部)、また先生たちが良かったですね。休み時間はほとんど先生たちの研究室に行ってました。大人と話をするのが楽しくて仕方なかったのです。1年生の時は休み時間にばれないように毎回、トランプ(ページワンか大富豪)をやっていましたし、放課後はちょくちょくボウリングへ行ってました。

高3の時に、放送部の後輩(高1)が大量に入ってきて、毎日が楽しかったですね。ほぼ部活はおしゃべりか遊びか、時々勉強かという状況でしたが、部活帰りにみんなで夕飯を食べて帰ることが多かったですね。

ただ、当然といえば当然ですが、中学・高校と彼女ができませんでした(泣)(笑)

大学進学もやはり他人と同じが嫌いで、なんとも不思議な決定をしております。英語が好きだったので、英語の先生を目指していたので、英米語関係の学部へと考えておりました。ところが、シェイクスピアを学ぶのが嫌で、第一条件が英語の教員免許が取れること、そして、シェイクスピアの授業がないこと、できるだけみんなが行かないようなところ、という形で探していたら、別の高校の友達がパンフレットを持ってきたので見てみると、「え?どこ?ていうか聞いたこともないけど」という状態に。

もちろん、気になったので受験をしようと思い担任に伝えたら、「どこそこ?」ということで知らないと言われました。

まあ私自身は、先ほどの条件さえそろっていればどこでもよいと思っていたので、知らないところでもいいか、となっていたのですが。

大学時代は大学に行くよりもアルバイトに一生懸命だったので、大学はぎりぎりでの卒業です。好きな授業と嫌いな授業が極端になっていて、嫌いな授業はなかなか単位が取れずでした。おかげで普通の人たちとは違って大学4年生の時が一番授業が多く、毎日朝から夕方まで授業を受けておりました。

それでも、外国人の先生により英語の授業は楽しかったのと哲学や倫理関係の授業はハマりました。高校時と同様で、休み時間や空きの時間は、教授の部屋に行っておしゃべりするのが好きでした。

大学2年生の夏休みに1か月間のアメリカへの短期留学を経験しておりますが、カリフォルニアは良いところでしたね。マジックマウンテンという遊園地が今でも一番だと思っておりますし、お隣のサンディエゴのシーワールドもスケールが日本とは違いすごいの一言。USJは行ったことがありませんが、US(ユニバーサルスタジオ)にはこのときに行きました。カリフォルニアのディズニーランドはたいして面白くなかった記憶があります。ナッツベリーファームに行きたかったですね。

また、やはり大学3年生の時に自動車の免許を取りましたが、取った数日後からは、1日往復60kmの道のりを運転していたおかげで、すぐに慣れてしまいました。これまで毎日乗っておりますが、無事故無違反で、ずっとゴールド免許です。

ちょっとこの記事だけ読むと、ここの塾の塾長は大丈夫か?と思われてしまうかもしれませんが、思いだしながら印象に残っているものを書いてみたので、少しでもどんな人だったかが伝われば幸いです。

何か気になったものや他に聞きたいものがあったら是非コメント欄でどうぞ。

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