彩北進学塾ができるまで ~教育への情熱と塾の原点~

2025年、彩北進学塾は19年目を迎えます。この塾が生まれるまでには、私自身の長い教育への道のりと、多くの運命的な出来事がありました。今回は、私が塾を始めた理由や、これまでの歩みについてお話しさせていただきます。

教育への情熱と教員への道
私は小学6年生の頃から「将来は教師になる」という夢を抱いていました。高校でもその思いは変わらず、大学では中学校・高校の教員免許を取得しました。教育実習では生徒たちと向き合う楽しさを改めて感じ、教員という職業への憧れをさらに強くしました。

しかし、当時の教員採用試験は非常に厳しい競争倍率でした。合格してもすぐには採用されないことも多い時代。それでも教員になるという目標はぶれることなく、努力を続けていました。

大学在学中に塾講師としてアルバイトを始めたのも、教える経験を積みたいという思いからでした。大手予備校での初めての夏期講習では、1日に7コマもの授業を15日間連続で担当しました。体力的には大変でしたが、生徒に教えること、彼らと向き合うことの楽しさにやりがいを感じた経験でした。このとき、教える仕事の魅力を初めて強く意識したのを覚えています。

臨時教員の経験と葛藤
大学卒業後、私は小学校の臨時教員として2年間働きました。担任を持ち、他の正規教員と同じように教壇に立つ日々は、充実感がある一方で、次第に「違和感」を覚えるようになりました。

学校という場では、多くの子どもたちと関わり、集団の中で教育を行うという独自の魅力があります。しかし、私は一人ひとりの生徒にもっと深く向き合い、その子にとって最適な学びを提供したいという気持ちが次第に強くなっていきました。この思いは、学校という環境では実現が難しいと感じるようになりました。

塾との運命的な出会い
その後、私は千葉県で塾を運営することになりました。それは、友人からの一言がきっかけでした。

「知り合いが塾をやってくれる人を探しているから、一度話を聞いてみて」と言われ、その方に会いに行ったのが始まりです。驚いたことに、話はほぼ即決。「車を貸すから、明日引っ越して」と勢いに押される形で、私はその塾の運営を引き受けることになりました。

与えられたのは建物と運営資金だけで、あとはすべて自分で決める状態。生徒募集から授業計画の立案、教材選びまで、何もかもが手探りでした。最初は生徒7名からのスタートでしたが、少しずつ口コミで広まり、2年目には約40名の塾に成長しました。

地元・埼玉への帰郷と彩北進学塾の開校
千葉での塾運営を通じて、多くの経験と出会いを得た私は、「地元で自分の塾を持ちたい」という思いが日に日に強くなりました。地元・埼玉に戻り、自分の理想とする塾を開校する決意をしました。

とはいえ、最初から深谷で開校する予定ではありませんでした。しかし、偶然の重なりと運命的な出来事がきっかけとなり、深谷を選びました。この地を選んだ瞬間、幼い頃の夢がよみがえり、「ここで塾を始めることは運命だ」と感じたのを覚えています。そして2007年2月、彩北進学塾を開校しました。

私の原点 ~学生時代に通った塾の記憶~
彩北進学塾の理念の背景には、私自身の学生時代の塾経験があります。小学校6年生から高校3年生まで通っていた塾は、生徒数が各学年6名前後、授業後に先生と2時間以上話をするのが日課でした。小規模でアットホームな雰囲気の中、先生との交流が私の心に深く残っています。

「生徒一人ひとりと向き合うことの大切さ」を教えてくれたその先生の存在が、彩北進学塾の指導スタイルの基盤となっています。

18年目が間もなく終了
彩北進学塾が目指しているのは、「勉強を教えるだけではない塾」です。生徒たちが高校に合格するための力を育むのはもちろんですが、塾を通じて学べる経験や出会いが、その先の人生を豊かにしてくれることを願っています。

また、塾を通じて子どもたちの可能性を広げることができれば、それが何よりの喜びです。「失敗したらまた1からやり直せばいい」という言葉に背中を押されて始めた塾経営ですが、今では地域に根ざした教育の場としての役割を果たせるよう努力を続けています。

結びに
彩北進学塾はこれからも、地域の子どもたちや保護者の皆さまに信頼される存在でありたいと思っています。勉強だけでなく、子どもたちが自信を持って成長できるようサポートする塾を目指し、さらに努力を重ねてまいります。この記事を通じて、彩北進学塾の思いや歴史に触れていただければ幸いです。