「褒める」と「叱る」とは?

はるか昔に記事にした記憶がありますが、最近も生徒などから聞こえてくるので書いてみようと思います。

子育てをしていくうえで、ほめたり叱ったりする場面が多々あると思いますが、難しい側面を持っております。

必ずしも「褒める」が良いこととは限りませんし、また「叱る」も同様です。かといって、「無視」も問題です。

よくあるケースがこれ。

親:「今度のテストで順位が何位以内に入ったらスマホ買ってあげるね」

子:「じゃあ私、頑張る!!」

要は、何かをしてもらうために「モノで釣る」というパターンですね。

これは意外に落とし穴が大きくなります。

勉強に限らず、例えば、子どもに留守番をしてもらったとして、親が帰りにケーキなどを買って帰ったとする場合も同様です。

モノで釣ることは、よく使われ、子どももそれに答えようと思ってよい行いをするので非常に効果的に見えますがそんなことはありません。

褒美がないとやらない、という結果につながるからです。
または褒美の内容がエスカレートして要求されていく可能性もあります。

順位が上がってスマホを与えたとすると、次のテストでは、また他の何かを用意しなくてはいけません。最悪、子どものほうから、「今度のテストで○位以内だったら、○○を買ってね」とねだってくるかもしれません。そうなると、買ってあげなくてはならなくなりますし、約束しなかった場合、子どもがまた勉強をしなくなるケースも考えられます。

留守番の例も同じです。留守番をする=何かお土産を買ってきてくれる、という思考になってしまう可能性があるので、お土産を買ってこなかったら次から留守番をしなくなってしまうかもしれないのです。または、お土産もどんどん良いものにしていかなくてはいけなくなるかもしれません。

そして、最もいけないポイントは、ここです。

いずれのケースもそうですが、やることとモノに何の関係性もないという点です。

勉強することとスマホは一切関係がありませんし、留守番をすることとお土産も結びつかないのです。

私はよく疑問に思いながら聞く話が以下です。
学校の話です。

「今日、体育の時間に長縄を何回以上飛べたから、宿題が無しだった」など、耳にするのですが、長縄を跳ぶことと、宿題と何の関係があるのでしょうか。「掃除が時間かかりすぎたから宿題が増えた」のような場合も同じです。掃除に時間がかかったのと宿題が増えるのは全く関係がありません。

勉強のことであれば勉強のことにつながるものにしなくてはいけません。

最初の例では、順位が良くなったらモノを与えることではありません。頑張れば成績が上がるという経験に対し、その頑張りをしっかりと認めることです。一生懸命努力していた姿、その姿勢そのものを認めてあげればいいのです。何もモノを買わなくてもその過程を認めてあげれば、子どもは次につなげることができるのです。結果だけを評価するから、何も変わらない、つまり、モノに頼らなくてはいけなくなるのです。

留守番のケースは、留守番をしていてくれたことそのものに感謝をする、どれだけ助かったかを伝えることです。留守番をしてくれていた時間や行動に感謝をするのです。お土産を買う必要はありません。

学校のケースも同様ですね。

体育の時間に良い結果が生まれたならば、体育の教科につながることをやればいいのです。みんなが長縄を頑張ったから、次回は、みんながやりたがっていたサッカーをしようと。また、掃除が長引いてしまったのなら、なぜ長引いたのかを理解して次回はそうならないようにしていけばいいのです。

宿題があったりなかったり、何かの出来事に左右されたり先生の気分に左右されるようなものであっていいはずがありません。

そして、「叱る」場合も同じことが言えます。

先ほどのスマホの例が分かりやすいですね。

「遊んでばかりで全然勉強しないから、スマホ没収ね」のような話を良く聞きます。「順位が下がったらスマホ解約ね」という声も聞こえてきます。

褒める場合と全く一緒で、勉強とスマホが関連性がありません。

スマホを没収したり解約すると成績が上がるのでしょうか。もっと言えば、没収や解約をするくらいなら最初から与えなければいいのですが・・・

スマホがなくたって、子どもはテレビや漫画、他に変わるものはいくらでもありますので、結局、スマホが原因ではないことがわかります。

スマホでなくても、「○○出来なかったら、何か物を没収する」とか、「こういうことをしたから、旅行は中止ね」のような先ほどから書いているように、関連性のないこの流れは、物事の改善にはつながりません。それどころか、「反省よりも反発」にしかならないのです。むしろ悪くなる場合の方が多いのではないでしょうか。

叱る上で、最も危険な行為は、手を挙げる行為です。

これは、最悪ですね。

どうしても口でいってわからない場合やついカッとなって手を挙げる場合もあるでしょうが、これも改善にはつながりません。これは親の問題ですが、結局子どものためというよりは、自分のための行為です。力で言うことを聞かせようということ以外に何の愛情もありません。反省には一切つながりませんし、学ぶことも理解することも1つもありません。それどころか、手を挙げられて育った子供は自分が親になったときに同じ行為をしてしまいますので、負の連鎖です。ですから危険なのです。

叱る際は、今何が問題なのか、何がいけないことなのか、そして、どう解決するべきなのかを冷静に考えて、子どもの意見をしっかりと無条件に聞きながら、できる限り子ども自身に答えを出させるようにしなくてはいけません。

これが最も難しいのですが、やはり子どもの話を途中で遮ったり、聞く耳を持たなかったりとなりうるのです。そうすると子どもがいざというときに本当のことを言ってくれなくなりますし、親を信用しなくなり、頼ってこなくなります。さらに、親の思うようにコントルールしてしまいがちなので、結局、子どもからすると、「私のことを分かっていない」と、溝が増える一方です。

褒めるも叱るも、結局は、まずは子どもを「信じる」ところからスタートです。そして、「待つ姿勢、見守る姿勢」が大切です。どうしても結果を急ぐあまり、モノに頼ったり、先回りをしてしまいがちですが、そこはぐっと我慢です。特に、良いところをたくさん見つけて認めてあげればいいのです。そうすればモノなどに頼る必要がなくなります。悪いところはいつでも目につきますし、すぐにわかりますが、そこをあえてぐっと我慢する親の忍耐も重要です。

子どもの声に耳を傾けることです。追い詰めることではありません。

ぜひ、ふだんから実践してみることをお勧めします。

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